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はじめに

 

原子力発電に関する書物や資料、ネット上のHPやブログ等その数を挙げれば切りがない。原発の必要性や不必要性、安全性を主張する者もあれば過去の事故の事例を挙げ廃止を唱える者も多い。原発の存在の是非を問うことは、国家を私物化する集団と、必ず起こる原発事故による被害を食い止めようとする国民との闘いである。

 

原子力発電の現状 

 

 

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出典:独立行政法人 原子力安全基盤機構

 

現在の日本には、北海道から鹿児島県まで、13道県に17カ所の原子力発電所がある。50基以上の原子炉が稼働し日本の電力の約3割を賄っている。多くの指摘がされているように日本の電力供給は原発を中心に発電されている。そして、過不足分は他の水力や火力によって調整されているのである。これは原発は一度稼働すると停止できないことに起因する。しかし、これを供給ではなく電力消費からみれば必ずしも原発は必要ではないことが分かる。消費者が「節約」に徹し、水力や火力そして風力などの供給源を効率よく動かせば不可能な数字ではない。もともと政府は1次エネルギーの供給量を決めて長期予測の計量的経済モデルに沿うように電力量を算出する。これと反対に市民の立場から必要な消費量を考え、これをもとに1次エネルギーの供給量を求める。そうすることで原発による電力供給量の必要不必要が分かってくる。2007年に起こった中越沖地震の際、柏崎刈羽原発はすべての原子炉を緊急停止したにもかかわらず、首都東京では停電すらなかった。東京電力が主張するような原子力発電による電力供給の必要性には疑問を持たざるを得ない。また、2009年8月に起こった地震により現在も浜岡原発は運転を停止しているが大規模な停電は耳にしない。このまま原発を永久停止できるのであれば原発の事故による放射能の脅威を減少させることができる。

 

過去に起こった原発事故

 

日本の原子力関連の事故は1971年を最初として常に起こっている。IAEA(国際原子力機関)によって策定された事故の評価尺度が下の表である。例として日本で発生した事故も挙げられている。

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199512月 「もんじゅ」レベル1「逸脱」

 

緊急停止試験のため出力を上昇中、中央制御室のコントロールパネルでナトリウム漏れが起きたという警報が鳴った。このときナトリウムが配管から漏れ発火し、煙が立ちこめていた。しかし、小規模の漏れと判断されたため出力を徐々に下げていくことにした。運転員が再び現場を確認したところ煙が一段と激しく立ちのぼっていたため原子炉を緊急停止した。事故後「動燃」は事故当時撮影されたビデオを公開した。しかし、数日後これが編集されたものであったことが発覚した。編集前のビデオを公開した当時の動燃の総務部長は会見の翌日に自殺している。

 

 

19999月 東海村JCO臨界事故 レベル4「所外への大きなリスクを伴わない事故」

 

JCOの核燃料加工施設内で核燃料サイクル開発機構の高速増殖炉「常陽」向けの燃料加工の行程中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生。この反応は20時間持続した。これにより至近距離で致死量の中性子線を浴びた作業員3人中、2人が死亡した。作業は国の管理規定である正規マニュアルではなく裏マニュアルで運用されていた。特に事故当日はこの裏マニュアルすら改悪した手順で作業が行われていた。事故後、管理側の事故隠し体制が明らかになり、原子力不信を招いた事件としても知られている。(参照:Wikipedia)

 

 

原発震災

 

多くの原発事故がありながら未だ発生していないものが「原発震災」である。これは大規模な地震が発生し原子力発電所を直撃し放射能漏洩などの事故が起こることである。先にあげたIAEA(国際原子力機関)の事故評価の中にも震災が原因の原発事故はない。原発大国であり地震大国でもある日本において「原発震災」に遭遇する可能性はきわめて高い。多くの原発反対派が手を挙げ、多くの国民が心配している点だ。そして、問題はこれがいつどこで起こるかということだ。可能性の高い地域として注目されているのが中部地方である。

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参考:国土交通省 中部地方整備局

 

中部地方整備局によると「東海地震」は東南海地震(1944年)で地盤に蓄えられたエネルギーが解放されておらず、安政東海地震(1854年)から約150年間大地震が発生していないため、相当なエネルギーが蓄積されていることから、いつ大地震が発生してもおかしくないとみている。また、「東南海・南海地震」については、おおむね100~150年間の間隔で発生しており、今世紀前半での発生を懸念している。

 

 

shizuoka-a.jpg(参考:Crescendo「クレッシェンド」)

 

 

このようにいつ起こるか分からない大規模な地震と、人類が経験したことのない原発震災。遭遇したならチェルノブイリの原発事故を上回る被害を覚悟しなければならない。しかし、「種としての絶滅」を予感しながら黙って怯える日々を過ごす必要も無い。人の手でつくられたのなら人の手で無に還すこともできるのだ。

 

 

原発事故の原因と対策

 

どのようなプラントでも事故が起こると現場で働く労働者に原因があると結論付けされ易い。確かに設備や原料などに直接手を加えるので全く関係が無いと言えば、嘘になる。だから社会全体の問題となるような場合は、組織の管理体制の不備に追求の手が及ばないようにするため末端の労働者を原因者とすることがたびたび見られる。1999年の東海村JCO臨界事故の時も作業者によるバケツを使用した手抜き作業が原因とされた。だが、時間の経過とともに明るみになったのは、安全性よりも利益追求を優先する組織の体質だった。

 

しかし、ここに焦点を当てて事故の対策を立てても問題の解決には繋がらない。また、管理者側にその責任を取らせても同じことである。なぜなら、事故原因の本質は原発そのものの存在であり、事故は必ず発生するという真実である。

 

「事故をゼロにしよう」というスローガンはどこの現場でも見られるが、事故をゼロにするのは不可能である。多くの御用学者や機関が原発の安全性を唱えているが、過去の事例を見ても安全性を100%に保つことは出来ないことが分かる。ある一定の期間、半年とか一年とかに限定して目標を達成することはできる。そして、その行動の積み重ねは事故や災害をゼロに近いところを維持するという点においては多いに評価されるべきである。しかし本質は、人類がその営みを継続していくという永い時間において事故は副産物として必ず発生するという事実であり真実である。

 

これを踏まえて原発を維持するのか放棄するのかを考えれば、答えは一目瞭然である。原発の事故は必ず発生する。そのレベルが1991年の美浜原発2号機で発生した細管破断による「異常な事象」となるのか、あるいは1986年の旧ソ連で起こったチェルノブイリ原発事故のような「深刻な事故」となるかは分からない。だが、想定された原発の事故に対する対策をいくつも並べるよりも、原発をすべてなくすことの方が最も簡単で安全な方法なのである。

 

このような簡単な事実と真実がありながら、多くの人は自らの無力を理由に日常を過ごしている。その間、自らの利益と保身を優先する集団は多くの国民に犠牲を強いているのだ。莫大な利益と引き換えに多くの人命が失われたことは歴史が証明している。歴史が繰り返されるのであれば、最悪の原発事故という事態が起こった場合、原爆投下のような人類の悲劇が繰り返されることは十分予知できることである。これに対して必要なことは、貴方は決して無力ではないということを知り、そして行動することだ。

 

震災と、 (*)ゞ 間違った

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